金澤八幡宮伝統掛唄保存会
 
 
 
 金澤八幡宮の掛唄は大正時代までは、誰が主催し誰が世話するものとも決まっておらず、同好者が前年の顔見知りと打ち合わせて自由に集り、ひたすらに唄うことが楽しみでやってくるだけで、順位をつけたり優勝を争うなどということはありませんでした。
 大正十五年に金澤八幡宮の全改築が行われ、それを記念し昭和二年、金沢町荒町(現市内金沢本町字荒町)の中村源助氏が掛唄大会の優勝旗を贈呈しました。その後秋田魁新報社等から優勝旗が送られたことがありましたが、昭和二十四年に八幡神社祭典協賛会(掛唄の部)ができるまでは、民間有志の催しとして進められてきました。
 この後、昭和三十九年、掛唄を永久に保存し将来の発展を期することを目的に金澤山八幡神社掛唄保存会(現金澤八幡宮伝統掛唄保存会)が設立されました。
 現在は、約六十名の会員が掛唄の指導を行ったり、大会優勝者掲示板(右写真 現在資料が残っている昭和三年以降のもの)を作成したりと、精力的な活動を行っています。
 
 

 大会優勝者名掲示板  金澤八幡宮境内
 
 

 
掛唄の由来

 金澤八幡宮は、寛治七年(1093年 後三年の役終結後)出羽の国の鎮護神として源義家が藤原清衡に命じて建立されたといわれる由緒ある神社です。その後、江戸時代に秋田に転封された佐竹氏の先祖である新羅三郎義光も兄義家と力を合わせて戦に勝ったことから御尊崇厚く、秋田入部の二年後には藩命により開扇に月章の紋章を与えられ、その後、佐竹氏により何度も改修されています。
 慶長九年(1604年)、佐竹氏による最初の改修工事が終わり、落成の酒宴を行っていたとき、小林左馬丞は、前九年の役で逃げる安倍貞任に源義家が、「衣のたてはほころびにけり」 といったところ、貞任が「年を経し糸の乱れの苦しさに」 と返歌した掛け合いにならい、両側に分かれての唄の掛け合いを提案しました。
 この声に応じて二手に分かれ、節のまったくない即興の言葉を並べてのやりとりが交わされました。
 その後、明治に至るまで佐竹氏による神社改修のたびに、掛唄形式の読み合いは行われましたが、読み合いの参加者・見物人・八幡宮への参拝者などから、掛け合いは広く民家にも伝わりました。
 これが、一首の歌を二つに分けて掛け合うのではなく、一人で一首の唄らしくまとめたものとなり、また、棒読みでは調子がよくないとして、いいかげんな節をつけて唄うようになりました。
 更に、毎年の祭典日(旧暦八月十四日)の宵祭において非常に盛んになり、満月の夜を明かして果てることなく掛け合うようになりました。これが、掛け唄の由来のひとつです。
 もう一説、金沢八幡宮は一方で縁結びの神としてもご利益があると、近郷近住から大勢参拝にやってきました。
 祭礼前夜の丑三つ時に娘たちが良縁を願ってお籠りをしたそうですが、なにぶん深夜のため娘一人では心配なのでほとんどの場合、親や兄妹がついてきました。
 娘が神殿に籠っている間、境内では村ごとに円陣を組み、酒を飲み、歌を歌いました。やがて歌は、村々の競い合いになりました。 これも、掛け唄の由来のひとつです。
 現在では、後者の説が有力とされています。

 掛唄の節については、幕末頃から明治の初期にかけて一つの節ができてきたようですが、しかし、まだ決まった民謡の節ではなく自分の日頃好んで使う民謡の節をつけて唄い、相手もその節に合わせて唄ったようでした。
その後、大正十五年の金澤八幡宮の全改築後に仙北荷方節に統一されました。
 現在は、七七七五調の軽快な仙北荷方節にのせて、名調子ののどと文句の即席・即興の掛け合いが、九月十四日の夜を徹して行われています。

 掛け唄大会は県内十数箇所で行われていましたが、現在は、横手市内の旭岡山神社・金澤八幡宮と隣町の美郷町六郷熊野神社(昭和二十八年から)の三箇所が行っているのみとなってしまいました。
 
 
  
掛唄大会
 現在、掛唄大会は九月十四日の宵、金澤八幡宮内社務所において行われています。
 
  〇大会開会の前、午後八時に神前にて掛唄奉納の儀
  〇掛唄大会

   選手は二人づつの組み合わせで、
     一回戦(午後10時) 八組くらい
二回戦(午後11時15分頃) 八組
三回戦(午前 零時30分頃) 六組
四回戦(午前 1時50分頃) 四組
五回戦(午前 2時45分頃から3時半頃)  三組    と、進められます。

    掛け合いの素材は、
     1.社会・時事問題  2.政治       3.レジャー・スポーツ
     4.稲作        5.優勝旗争奪   6.艶物ほか
    と、古い民謡に節に乗せて時代層を唄い込みながら連綿と唄い継がれています。
 
 
  
名勝負の記録
 開催した年の時事や稲作など、さまざまな題材を用いて掛唄は行われ、毎年のように名勝負が繰り広げられます。ここでは、昭和六十年に繰り広げられた掛け合いをご紹介します。

掛け合い  中川原信一・・・藤峯ノコ
 
   中  なんの因果で あなたとかける 女嫌いの この私
   藤  女嫌いと 良くまた言うた 家に居る子は 誰の子だ
   中  あれは確かに 私の子だが 子孫繁栄で 出てしまた
   藤  子孫繁栄と あなたは言うが 女嫌いが 気にかかる
   中  女嫌いが そのせいなのか 今の子供は 一人だけ
   藤  子供一人が ありゃよいけれど 私子供が ないのです
   中  種が悪いか 畑のせいか 良く調べて もらた方え
   藤  畑にあんまり 肥やしをやたば なんぼ種撒いても 生えてこぬ
   中  物というもの 適度が大事 肥やしやりすぎゃ それはある
   藤  家に帰って 親父にしゃべる 少し遠慮 すれと言う
   中  それはその通り 夫婦の仲が 良けりゃ子供が 生まれます
                    笛
 
 掛唄は、相手の唄に合わせて即興で返すことが重要で、相手の唄を聞きながら返す歌詞を考えています。それが即座に出てくるまでは相当な年季が必要です。
 また、唄の内容自体には多少の嘘や誇張などが許されています。
 
 
 
掛唄の記録
 掛唄は四百年もの歴史を持つといわれていますが、いつ頃から掛唄大会が行われたのかははっきりしていません。そこで、現在確認できている昭和三年からの大会優勝者掲示板を平成十六年に作成し、その栄誉を称えています。
 
 
後継者の育成
 永きにわたって受け継がれてきた掛唄大会ですが、近年は参加者の伸び悩みが続いていました。このため、参加者の底辺の拡大を図るべく、中学校の授業(総合的な学習)を利用し掛唄の指導を行っています。また、平成十五年からジュニア部門(中学生)を設け若年参加者の拡大を図っています。
 
 
 
保存会の受賞等履歴
 平成 二年  アジア民俗芸能祭 出演
 平成 四年  横手市指定文化財(無形文化財)
   〃    秋田県指定文化財(無形民俗文化財 年中行事)  
   〃    芸術祭国際公演第十六回日本民謡まつり
        「アジア・太平洋のうたとおどりの祭典」 出演
 平成 七年  感謝状(全日本郷土芸能協会)
 平成 九年  秋田県文化財収録(映像と文献に纏められる)
 平成 十年  文部省指定ビデオ作品「現代に生きる民謡の心」
        高等学校一年生芸術(音楽)教科書の教材として 
 平成十三年  東京国立大劇場で公演
   〃    東京都大田区民ホールで公演
   〃    奈良県立万葉文化館 日本とアジアの歌コーナーの
        「日本の歌垣」に常設展示
 平成十六年  会長功労賞(横手市芸術文化連盟)
   〃    地域文化奨励賞(財団法人山下太郎顕彰育英会)

 
 
 
参考 「金澤八幡宮伝統掛唄保存会」資料