おまつりイベント

横手の雪まつり【かまくら】

「かまくら」は、水神様をまつる小正月行事で、約450年の歴史があるといわれています。
中には子供たちが入って、「はいってたんせ(かまくらに入ってください)」「おがんでたんせ(水神様をおがんでください)」といいながら、あまえこ(甘酒)をふるまいます。
もともと、「かまくら」は見るものでなく、中に入って、正面にまつられた水神様にお賽銭を上げて、家内安全・商売繁盛・五穀豊穣などを祈願するものです。
まつり期間中、市内に60基ほどできるかまくらの中では、あまえこを飲みながら、夜が更けるのも忘れて“話っこ”に花が咲きます。450年の伝統を誇る雪国のメルヘン「かまくら」に「はいってたんせ!」

2024年の横手の雪まつりの情報は こちら からご覧ください。

基本情報

日程 毎年2月15日・16日
会場 横手市役所本庁舎前・横手公園・二葉町・その他市内一円
時間 18:00~21:00

 

かまくらの歴史

横手のかまくらは、約450年の歴史があるといわれています。
藩政の頃、武家の住んでいる内町では、旧暦1月14日の夜、四角い雪の壁を作り、その中に門松やしめ縄などを入れ、お神酒や餅を供えてから燃やし、災難を除き子供の無事成長を祈った左義長のかまくらが行われました。

一方、商人の住んでいる外町では、旧暦1月15日の夜、町内の井戸のそばに雪穴を作り、水神様(おしずの神さん)を祀り、良い水に恵まれるようにと祈りました。
当時は、現在のように各家々でかまくらをつくるのではなく、大正の終わりごろまでは、各町内ごとに行われていたようです。外町では水神様を祀りましたが、内町では鎌倉大明神を祀ったようです。

当時の子供達の遊びの中に、積もった雪に穴をあけて、その中に入って遊ぶ雪遊びがありました。
これら3つがいろいろと変遷を経て、今のような水神様を祀るかまくらとなりました。

昭和11年、ドイツの建築家ブルーノ・タウトがかまくらを見て、メルヘンの世界を絶賛し、彼の著書「日本の再発見」にそのときの感動を伝えています。
「すばらしい美しさだ。これほど美しいものを、私はかつて見たこともなければまた予期もしていなかった。これは今度の旅行の冠冕だ。この見事なカマクラ、子供たちのこの雪室は!…」
子供たちは甘酒を一杯すすめてくれるのである。こんな時には、大人たちはこの子たちに一銭を与えることになっている。ここにも美しい日本がある。」

昭和29年より2月15日となり、その後、梵天とあわせ「雪まつり」として開催することになりました。
昭和10年頃までは雪室のかまくらが作られていましたが、天井が落ちる危険があるとのことで、天井にむしろなどを掛け、入口にはござなどを下げました。
昭和34年にモデルかまくらが作られ、これを契機に現在のようなかまくらが作られるようになりました。
昭和37年頃になると、自動車の交通量が多くなり、交通の邪魔にならないように、だんだんかまくらの形が縦長になってきました。
昭和44年になると交通量がより多くなり、規制を受けた道路はかまくらが作られなくなりました。この頃よりかまくらの数がだんだん少なくなったため、昭和46年頃にはミニかまくら作り運動がおき、多くのミニかまくらが作られました。
また、この頃よりかまくら通りを設け、そこにかまくらを作り、観光用として対応するようになりました。

かまくらの語源

●「かまど」の形と似ているからという説
かまくらの原型はかまど型でした。形ばかりでなく、この中で正月用のしめ飾りなどを焼いたことから「かまど」を語源とする説。

●鎌倉大明神を祀ったからという説
古い書物に、かまくらのそばに鎌倉大明神の旗が立てられている絵があり、また鎌倉大明神を祀ったとも書かれています。この神の名から「鎌倉」を語源とする説。

●神座(カミクラ)からかまくらになったという説
雪室は神様の御座所、即ち神様のおいでになるところ神座であることから、この神座(カミクラ)がかまくらに変化したという説。

●鎌倉権五郎景政を祀ったという信仰からでた説
後三年の役で、弱冠16才で勇敢に戦った景政を祀ったことから、かまくらとなったという説。

●鳥追い歌の歌詞からという説
鳥追い歌に「鎌倉殿」という歌詞があることからかまくらになったという説。

以上、いろいろな説がありますが、これだと断定することは難しいようです。


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