後三年合戦

見所紹介

金沢公園

 金沢柵跡にある公園です。景正功名塚を中心に整備された公園で、園内には多くの由来のある史跡が点在しています。また、桜やつつじの名所で、四季を通じて風光明媚な公園として親しまれています。

■所在地:秋田県横手市金沢中野

金沢公園内 地図

景正功名塚

 後三年合戦にわずか16歳で初陣し、素晴らしい手柄を立てた鎌倉権五郎景正が、将軍源義家の命により敵の屍をこの地に手厚く葬り、弔いのため塚の上に杉を植えました。900年の歴史を語る巨木となりましたが、昭和23年火災にあい、幹だけを残し今なおその昔を物語っています。
  金沢公園はこの功名塚を中心につくられたものです

金沢八幡宮

 後三年合戦終了後、寛治7年(1093)に源義家が藤原清衡に命じて出羽鎮護のため、岩清水八幡宮の神霊を勧請して創建したもので、弥陀八幡として誉田別命を祀っています。
  新羅三郎義光の末裔である佐竹藩主の尊崇が特に篤く、慶長9年(1604)以来数回にわたって修改築を施しています。本殿内の内陣は創建以来のもので、幾多の社宝とともに貴重な文化財です。

兜杉

 根回り7.45m、枝下高さ7m、樹高約26mもあり、樹齢およそ900年とも伝えられています。兜杉は、八幡太郎義家が凱旋のとき愛用の兜を埋めて石をその上に置き、そばに藤原清衡が記念のため植えた杉ともいわれています。昭和58年1月失火により焼失するまで市の天然記念物に指定されていました。

兵糧倉跡

 金沢柵の米倉の跡と思われ、後三年合戦の兵火にかかり焼失した糧食の炭化したものが今でも土中より出てきます。
 焼米は明治天皇をはじめしばしば高貴の方々の御覧に供しています。

 

出土された焼米

金沢柵跡

 徳政夜話によれば、前九年の役の頃までは清原武則の居城で、後三年の役において清原家衡・武衡が沼柵から移り、源義家がこれを包囲し食糧攻めによってようやく陥れた古城址です。中心は四面断崖絶壁の岩山からなり、天然の要害をなしています。この柵は古くは先住民族のシャチ(砦)として、近くは城柵として幾度か利用されたものと思われ、今もなお当時の陣営の掘建ての柱穴址がたくさん残っています。

武衡生捕池(蛭藻沼)

 金沢柵落城の時、清原武衡が生け捕られた所で、刀の鞘の尻を切って口に当てて沈んでいたといわれています。

■所在地:秋田県横手市杉沢字谷地中 地内

平安の風わたる公園

 雁行の乱れの場所にあり、後三年合戦をモチーフにした公園です。源義家、藤原清衡、清原武衡、清原家衡のブロンズ像があり、後三年合戦絵詞の壁画レリーフ、雁の形をした橋、足元には系図や地図などがあり、後三年合戦の歴史を学ぶことができます。

■所在地:秋田県横手市金沢中野三貫堰

後三年の合戦金沢資料館

郷土の文人・戎谷南山の模写による『後三年合戦絵詞』や、県指定文化財の中世仏教にかかわる経塚の資料や大般若経など、郷土の歴史資料を展示しています。

■開館時間:午前9時から午後4時30分まで入館可
■休館日:毎週月曜日(休日の時はその翌日)、祝日の翌日、12月29日~1月3日
■入館料:4館共通入場券100円
※かまくら館・石坂洋次郎文学記念館・横手公園展望台の3施設を含む4館すべてが100円でご覧いただけます。(発行日当日限り有効)
■所在地:秋田県横手市金沢中野字根小屋102-4
■電 話:0182-37-3510

大鳥井柵跡

 清原氏の本流である清原光頼とその子大鳥山太郎頼遠(よりとお)の居城として確実性の高い遺跡です。11世紀の柵を考える上でも非常に貴重で、国史跡である平泉の柳之御所遺跡に影響を与えたともいわれています。


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